50代うすぼんやり生きています

50代のあれやこれや、管理人「凡子」が関わってきた今昔を綴っていきます

旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと

どうも凡子です。

地下鉄に乗ろうとして、前を歩く親子連れが目に入りました。
小学校に入るか入らないかくらいの男の子とお母さん。仲良さそうに手を繋いで、何か楽しげに話をしています。

後ろを歩く凡子は、ああ息子にもこんな頃があったなぁと、懐かしく少し切なく思いながら、後ろを歩いていました。

幸せな感じが伝わってきて、凡子の気持ちもほっこりします。

街を歩いていると、こういう幸せそうな親子だけじゃなく、ときどきすごい剣幕で、子どもを叱り飛ばしているお母さんに出くわすこともあります。

旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと

「ごらぁ何やってんの!? 早くしなさい。あんたはもういつもこうなんだから!! 早くって言っているでしょ」

小さいうちに社会的なルールを身につけさせことは、大事なことだと思います。

ただ、この怒り心頭で怒っているお母さんは、家ではどうなんだろう? 家でもこんな感じなのかなと、ちょっと心配になることがあります。

いや、凡子も子育ての時期には、全然余裕がなく、時間に追いまくられて息子を叱っていたような気がします。ルールを身に着けさせるっていうのもあったと思いますが、自分のコンデションの具合で、怒りを爆発させていたときもありました。

で、この親からのしつけって一歩間違えると、大変な事態を引き起こすことがあります。

親のルールを重んじるあまりに、子どもの生活全部に目を配って、一挙手一投足に対してダメ出しして、子どものやることなすことすべて矯正する、なんてことです。子どもに世間の厳しさを早いうちから教えて、ちゃんと自立させたい、人さまから後ろ指を差されないように生きさせたいっていうのは、親の愛情で、大事なこと。

だけどやりすぎると、違う意味合いを持つことがあります。

また、ときにそれは愛情に見せかけた違うものって場合もあって、やっている親自身さえ、それに気づいていないこともあります。

これをやられすぎた子どもがどうなるかというと、ある呪いを自分にかけちゃう場合があるのです。

全部の子どもじゃなくて、一部の子どもです。親のいうことをよくきくいい子とか、親との境界線をうまくひけなくて親のいうこと全てを受け入れる子ども、とか。

それは、どんな呪いかというと、旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと、…そんな風に凡子は捉えています。

私たちそれぞれが人生の旅に出かけるとき、魔法が使える旅の仲間を一匹連れていくんじゃないかと、まぁ、そんな風に思うわけです。この旅の仲間は不思議な生き物で、人生の旅路の、そのときどきで、魔法を使って主人公を助けてくれます。

凍てついた夜の大地を旅するときには、身体を発光させて灯りの役目を担ってくれたり、冷たい川を渡った後には、火を起こして身体をあたためてくれたり、道に迷って不安なときは励ましてくれたり、宝物を見つけたときは一緒に笑って喜んでくれたり、陰になり日向になり、いつも主人公と一緒にいてくれる、不思議な生き物です。

旅の主人公が、どんなにへっぽこな奴でも見捨てることはありません。

この不思議な生き物を連れているかどうかで、同じ世界を旅していても、見える景色は全く違うものになります。

一緒ではないとき、旅の難易度は格段にあがり、孤独と不安の中、視界がきかない暗い世界を、寒さや恐怖と闘いながら旅することになるのです。

それはよるべのない、恐ろしい旅です。

ときどき、この生き物を連れていない子どもや、大人を見かけることがあって、そういう人は、とても苦しそうに人生を生きています。

宝物を探して立派になれば、世界から受け入れられて幸せになると信じて、途方もない努力や我慢を続けて、結果エネルギー切れを起こしたり、固く鎧をまとったまま冒険に出ないでごくごく小さい世界だけで生きたりするのです。

この不思議な生き物の正体が何かというと、自己受容感とか自己肯定感、自己信頼感というやつです。

単純に、何ものでもない自分を、受け入れる気持ちといってもいいかもしれません。

反骨心のある子どもならば、親のルールに逆らって、自分の生き方を確立することができます。でも優しすぎる子どもは、親のルールを自分の中に取り込もうとして、その消化できないカラーの違いに苦しみます。

親は、自分がどんなに素晴らしいと思うルールや人生観であっても、しょせんそれは親のものでしかないという気持ちを頭のすみに持った方がいいんじゃないかと思うわけです。それを採用するかどうかは、成長する過程で、子ども自身が選びとっていきます。

決して野放図にほったらかしに育てろというようなことは言ってなくて、やりすぎ注意、呪いを発動させないようなさじ加減が必要だってことです。
せっかくの愛情を、子どもが苦しむ方に作用させないためにも。

で、この旅の仲間がいなくて苦しんでいる人。
連れないで旅に出るって書きましたが、実はちゃんとついてきています。そばにいてずっと見守ってくれています。
ただ呪いで、見えなくなっているだけです。

大人になってからでも見つけることができますから、呪いを解いて見つけてあげてくださいね。

今の自分とかけ離れた大それた何ものかにならなくても、その存在に気づきさえすれば、その不思議な生き物を見つけることができますよ。

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