50代うすぼんやり生きています

50代のあれやこれや、管理人「凡子」が関わってきた今昔を綴っていきます

一番重要で厄介な仕事をカエルに見立てて、朝一番に『カエルを食べてしまえ』

どうも凡子です。気づくと、忙しさに紛れ(嘘。半分サボり)ブログ更新が滞っています。

昔読んだ自己啓発本に、『カエルを食べてしまえ』(ブライアン・トレーシー著 ダイヤモンド社)という本がありました。自己啓発本として、普通に良い本だと思いますが、この本の肝は、インパクト溢れるタイトルにあると思います。

しなくてはならない、一番重要でやっかいな仕事をカエルに見立てて、朝一番にその厄介なカエルを食べてしまえ、つまり仕事を終わらせてしまえという、ありがたい本です。

一番重要で厄介な仕事をカエルに見立てて、朝一番に『カエルを食べてしまえ』

朝一番に生きたカエルを食べれば、その日の最悪事はもう終わったこととして安心して過ごすことができるのだそうです。

さらに、「カエルが2匹いたら大きくて醜い方から食べよ」とも言っています。

つまり、重要な仕事が2つあったら、難しく大変な方からやりなさいと言うこと。

やらなくてはいけない仕事、家事、資格試験や受験勉強、などなど色々あるかと思います。

で、凡子の場合、このカエルに相当するのはブログを書くことです。昨年1月から始めたこのblog、今だ72記事、1年間でたった72匹しかカエルを食べていない計算です。

なんと少食。いや~カエル以外ならね、いっぱい食べてて、体重は最重量記録ばく進中なのですが。

で、hatena Blogでブログを書いていると、カエル取りのうますぎる方々、(ブログを書くのが素晴らしく上手な方々の意)が、数多くいらっしゃって、ブロガーさんの捕まえた蛍光ピンクや紫色の、カラフルででっかいカエルに度肝を抜かれるわけです。

それら食べにくそうなカエルをものともせずに口に運ぶブロガーのみなさま。
え~、ちなみに作者のブライアン・トレーシーさんは、カエルを食べろは言っていますが、カエルをつかまえろとは一言も言っていません。

ただ凡子の脳内では、「カエルを食べるのならまず捕まえないと」という、イメージがあって、このイメージが余計カエルを食べることへのハードルを上げているような気がしなくもありません。

カエルびょんびょん跳ねっから、捕まえるの、難しいつうの~~!!

カエルをやすやすと捕まえて、嬉々として食べる才気あふれるブロガーの方々を気にしても仕方がありません。

だがしかし、ここである疑問が湧き上がります。やらなくてはいけない仕事を醜いカエルに見立ててしまったら、余計それをやり遂げるのが難しくなるような。

ブログに限らず、やることやってる方々は、もしかして美しい花を咲かせるようなつもりで、水をあげたり、音楽を聴かせたり、優しく声をかけたりしているのかもしれません。立ち向かうのではなく、愛おしく育てる的な感じで。または楽しく一緒にダンスを踊る感じとか、一緒にお散歩にいく感じとか。

そういうイメージを持った方が、とっつきやすいんじゃないの!?

そもそもカエルを飲み込むようなつらい仕事が続くのか…?

そもそもブログを仕事と思っちゃいけないんじゃ…。

あっ、『カエルを食べてしまえ』本の否定っぽくなってますが、いやいや、立ち向かうのもありだとは思います。苦行がお好きな方がいらっしゃいますからね。そこはもう、お好みで。てへっ。

とりあえずなんとか、ちびっこいカエルを飲み込んでみました。ゲフっ。

 

カエルを食べる話じゃなくカエルになった話は、こちら。

www.50usu.xyz

 

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今年一年を占うような、元旦のポンコツぶり

どうも凡子です。1月も早22日。

皆さま、どんなお正月を過ごされましたでしょう?
お正月、初詣も、初売りも、外食もなかった凡子です。なぜなら、
それは元旦にぎっくり腰になってしまったため。

息子が独立し、炊事からとんとご無沙汰してましたが、待ちわびた息子も帰省しました。
はりきって美味しいものを作ろうと思った矢先、
椅子から立ち上がろうとした凡子に、魔女の一撃が炸裂!!

今年一年を占うような、元旦のポンコツぶり

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ブログを始めて一周年経ったことを自分のブログが消失していて気づく

どうも凡子です。いつの間にか2017年が終わって2018年、しかも既に1月13日。
明けましておめでとう記事でも書くかな(今頃!?)と思い、自分のブログにアクセスすると、
404 Blog is not found お探しのページは見つかりませんでした。
という非情な文字が表示されるばかり。ブログがなくなっています。

えっえっえっっっ、聞いてないよぉぉぉ~~~~!!

何度更新ボタンをクリックしても状況は変わらず。

我がブログ消失す。。。

ブログを始めて一周年経ったことを自分のブログが消失していて気づく

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旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと

どうも凡子です。

地下鉄に乗ろうとして、前を歩く親子連れが目に入りました。
小学校に入るか入らないかくらいの男の子とお母さん。仲良さそうに手を繋いで、何か楽しげに話をしています。

後ろを歩く凡子は、ああ息子にもこんな頃があったなぁと、懐かしく少し切なく思いながら、後ろを歩いていました。

幸せな感じが伝わってきて、凡子の気持ちもほっこりします。

街を歩いていると、こういう幸せそうな親子だけじゃなく、ときどきすごい剣幕で、子どもを叱り飛ばしているお母さんに出くわすこともあります。

旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと

「ごらぁ何やってんの!? 早くしなさい。あんたはもういつもこうなんだから!! 早くって言っているでしょ」

小さいうちに社会的なルールを身につけさせことは、大事なことだと思います。

ただ、この怒り心頭で怒っているお母さんは、家ではどうなんだろう? 家でもこんな感じなのかなと、ちょっと心配になることがあります。

いや、凡子も子育ての時期には、全然余裕がなく、時間に追いまくられて息子を叱っていたような気がします。ルールを身に着けさせるっていうのもあったと思いますが、自分のコンデションの具合で、怒りを爆発させていたときもありました。

で、この親からのしつけって一歩間違えると、大変な事態を引き起こすことがあります。

親のルールを重んじるあまりに、子どもの生活全部に目を配って、一挙手一投足に対してダメ出しして、子どものやることなすことすべて矯正する、なんてことです。子どもに世間の厳しさを早いうちから教えて、ちゃんと自立させたい、人さまから後ろ指を差されないように生きさせたいっていうのは、親の愛情で、大事なこと。

だけどやりすぎると、違う意味合いを持つことがあります。

また、ときにそれは愛情に見せかけた違うものって場合もあって、やっている親自身さえ、それに気づいていないこともあります。

これをやられすぎた子どもがどうなるかというと、ある呪いを自分にかけちゃう場合があるのです。

全部の子どもじゃなくて、一部の子どもです。親のいうことをよくきくいい子とか、親との境界線をうまくひけなくて親のいうこと全てを受け入れる子ども、とか。

それは、どんな呪いかというと、旅の仲間を見つける前に人生の冒険へと旅立つこと、…そんな風に凡子は捉えています。

私たちそれぞれが人生の旅に出かけるとき、魔法が使える旅の仲間を一匹連れていくんじゃないかと、まぁ、そんな風に思うわけです。この旅の仲間は不思議な生き物で、人生の旅路の、そのときどきで、魔法を使って主人公を助けてくれます。

凍てついた夜の大地を旅するときには、身体を発光させて灯りの役目を担ってくれたり、冷たい川を渡った後には、火を起こして身体をあたためてくれたり、道に迷って不安なときは励ましてくれたり、宝物を見つけたときは一緒に笑って喜んでくれたり、陰になり日向になり、いつも主人公と一緒にいてくれる、不思議な生き物です。

旅の主人公が、どんなにへっぽこな奴でも見捨てることはありません。

この不思議な生き物を連れているかどうかで、同じ世界を旅していても、見える景色は全く違うものになります。

一緒ではないとき、旅の難易度は格段にあがり、孤独と不安の中、視界がきかない暗い世界を、寒さや恐怖と闘いながら旅することになるのです。

それはよるべのない、恐ろしい旅です。

ときどき、この生き物を連れていない子どもや、大人を見かけることがあって、そういう人は、とても苦しそうに人生を生きています。

宝物を探して立派になれば、世界から受け入れられて幸せになると信じて、途方もない努力や我慢を続けて、結果エネルギー切れを起こしたり、固く鎧をまとったまま冒険に出ないでごくごく小さい世界だけで生きたりするのです。

この不思議な生き物の正体が何かというと、自己受容感とか自己肯定感、自己信頼感というやつです。

単純に、何ものでもない自分を、受け入れる気持ちといってもいいかもしれません。

反骨心のある子どもならば、親のルールに逆らって、自分の生き方を確立することができます。でも優しすぎる子どもは、親のルールを自分の中に取り込もうとして、その消化できないカラーの違いに苦しみます。

親は、自分がどんなに素晴らしいと思うルールや人生観であっても、しょせんそれは親のものでしかないという気持ちを頭のすみに持った方がいいんじゃないかと思うわけです。それを採用するかどうかは、成長する過程で、子ども自身が選びとっていきます。

決して野放図にほったらかしに育てろというようなことは言ってなくて、やりすぎ注意、呪いを発動させないようなさじ加減が必要だってことです。
せっかくの愛情を、子どもが苦しむ方に作用させないためにも。

で、この旅の仲間がいなくて苦しんでいる人。
連れないで旅に出るって書きましたが、実はちゃんとついてきています。そばにいてずっと見守ってくれています。
ただ呪いで、見えなくなっているだけです。

大人になってからでも見つけることができますから、呪いを解いて見つけてあげてくださいね。

今の自分とかけ離れた大それた何ものかにならなくても、その存在に気づきさえすれば、その不思議な生き物を見つけることができますよ。

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家や部屋を借りたり買ったりするときは、不動産の事故物件情報サイト『大島てる』をチェックしよう

どうも、凡子です。

事故物件情報サイト『大島てる』ってご存知でしょうか。

認知度がどれくらいか、今イチわからないのでご存じでしたらすみませんですが、ご存じない方に向けてご紹介したいと思います。

へっぽこ凡子は、不動産屋勤務です。
不動産物件を借りたり買ったりする場合、誰しもお得に借りたい買いたいと思うのではないかと思います。もちろん、凡子でもそう思います。ただ、相場よりあまりに安すぎる物件の場合、いわく件、つまりは事故物件だったりしますので、注意が必要です。

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Amazon「Kindle Unlimited」30日間無料読み放題を使ってみた

どうも凡子です。
断捨離計画がとん挫しています。ベッド周りには、積ん読された本が散乱。

マンガ『BLAME!』(二瓶勉・著)の冒頭で、主人公の霧亥が古ぼけた本を取り出し、その中の一節を読んで、「大地って何だ?」とつぶやくシーンがあります。
傍らにいた女が、それを見て、「それ何? ハードコピー? ずいぶん古い」と問いかけます。『BLAME!』の世界では、大地もなければ、紙媒体の本もとうに失われているよう。

そのシーンを読むたび、そうそう、紙媒体の本はなくしちゃいけないと思ってた凡子でしたが、いや~50歳も過ぎると、そんな情緒的なことを言ってる場合じゃないことに気づきます。

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人が物事を認知する能力って、結構精度が悪いんじゃないかと思う話

人が物事を認知する能力って、結構ハンパ、精度が悪いんじゃないかと最近思うようになりました。

そばにいる人と、同じ体験をしていても、全く捉え方が違うな~ということがちょくちょくあります。例えばダンナ、同じことについて話していても、感じ方が180度違うので、あまりの違いに愕然とするというか、下手するとケンカ勃発とか、そういう事態に発展しそうになります。

人が物事を認知する能力って、結構精度が悪いんじゃないかと思う話

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