50代うすぼんやり生きています

50代のあれやこれや、管理人「凡子」が関わってきた今昔を綴っていきます

夜な夜な包丁を研ぐダンナ

ピンポーン。
あっ、宅急便やさんかな。荷物が来ることをわかっていた凡子より先に、リビングにいたダンナが玄関に出てしまいました。

案の定、インターホンの主は、宅急便やさん。荷物は離れて暮らす息子から。
「何送ってきたの?」とダンナ。
「包丁」としぶしぶ答える凡子。うわっ、ダンナには知られたくなかったのにぃ。

何故、息子が包丁を送ってくれたかというと、それはダンナが包丁を研ぐから。

夜な夜な包丁を研ぐダンナ

意味わからないですね。説明します。
うちのダンナは料理が好きで、結構な頻度で作ってくれます。
男の手料理なので美味しいときもあれば、ときどきとんでもないものが出てくるときもありますが、できればご飯を作りたくない凡子からすれば、ただただありがたいことだったりします。

それは、非常にありがたく感謝もしていますが、ありがたくないのが、包丁を研いでくれること。ご飯を作るよりも高い高い頻度で、なぜかダンナは包丁を研ぐのです。

昔からあるオレンジ色の砥石で、しゃーしゃーと。

板前気取りなのか、しゃーしゃーの音が心地いいのか、日常のうっぷんを晴らす為なのか、目的は不明。いいように考えれば、じいちゃん、つまりダンナの父親が、やはり包丁を研ぐ人だったので、研ぐことが幸せな記憶に結び付くのかなと思ったり。

ただ包丁を研ぐって、実はかなり高度な技術を要することなんじゃないかと思います。その証拠に、研げば研ぐほど切れなくなる不思議。研ぐ前より切れなくなる奇怪さ。

ダンナが研げば研ぐほど、包丁の切れ味は落ちていき、今では、うちにある包丁全て、石包丁、刃物状の磨製石器と化す始末。

この石包丁、野菜などそんなに硬くなく食材でも、体重を掛け力任せに押し切るようにしないと切れず、まっすぐに切ることも叶わず、ただでさえ『中華一番!』のサンチェのように、刀工技術がおぼつかない凡子には、難しい代物。指を刻み、生き血を隠し味に入れちゃうこともしばしば。

うちの母が来て料理をすると、あまりの切れ味の悪さにぶーぶー文句を言います。

つまり均等に研げていないことに加え、刃が磨耗してなくなっていることが原因。

うちの包丁は、安いステンレス製。ステンレスの包丁は研ぎにくく、更に研ぐときの角度は、一般に15度とか言われるらしいが、多分その角度を保てていない。

ダンナにこのことを進言したこともありましたが、「何、言ってんの。切れるようになっているから」というダンナとの話し合いは決裂。

ダンナよ、幻想の中に生きてはいないか。

ただ、闘争にまで発展すると、凡子自身が消耗するので、指を切りつつ、石包丁を使い続けてきました。ダンナと連れ添って25年。げに夫婦というものは分かり合えないものでございます。

息子もそれを熟知しているので、凡子を不憫に思い、包丁をプレゼントしてくれたというわけ。それもハガネのかなりいいやつ。

息子よ、あじがとう~(泣)

でも、凡子、最近この状況を受け入れています。
それはなぜ? 年齢を重ねて、凡子の器が大きくなって、小さいことにこだわらなくなったから? 息子が独立して、夫婦二人で生きていくことを覚悟したから?

そういうこともあると思います。

でもまぁぶっちゃけ、理由の大部分は、息子が独立し、キッチンに立つ回数がダントツに減ったこと。

「腹減った」と待っている息子がいなくなり、ダンナは出張も多いし、いたらいたで、それなりに自分で料理を作る人。となれば、楽したがりの凡子が料理を作らなくなるのは必然。

あっ、石包丁が気にならないわけだわ。ほとんど使ってなかった~。

ご飯作りから早期リタイアしかねない妻を、凡子の何十倍もの強い思いで、ダンナは「こいつ、何を考えとるんじゃ~? ありえね~」と見ているに違いありません。

息子よダンナよ、ありがとう~!! こんな凡子でごめんね~!!

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