50代うすぼんやり生きています

50代のあれやこれや、管理人「凡子」が関わってきた今昔を綴っていきます

貯め込み方は家族でも全然違う。断捨離を敢行する際に最も手ごわい相手は?

断捨離計画がとん挫している凡子ですが、先駆け的なことは今年4月頃にやってました。

貯め込んだマンガ、本、雑誌などの大量処分。

息子が独立するにあたって、家の本をある程度整理しようというこのチャレンジ、その数、3~400冊くらいはあったでしょうか。息子は独立の準備でバタバタで、本格的に参戦したのはお盆に帰省したときなので、この4月時点で処分したのは、凡子とダンナの本、息子の子供のときの絵本類。

いや~あるある。

貯め込み方は家族でも全然違う。断捨離を敢行する際に最も手ごわい相手は?

うちでは、二階の納戸に本棚をいくつか置いて本置き場として使ってますが、家族三人全員が貯め込み型という性格が災いして、本棚に収まりきれない分は、床に直置き。そんでもって、誰も几帳面に積み重ねることをしないから、それが雪崩を起こして散乱する始末。

紙をめくるときの質感が電子書籍には替え難いとか言って、今まで頑なに電子書籍を拒んできたわけですが、最近は、家鳴りがすごくて、「すわ、ポルターガイスト!?」とか思うけど、多分一箇所に集められた本の重さが、3.11の震災を経た家に相当負担になっていると思われ。

いや、このままではまずい。本の重みで二階の床が抜けかねない。紙の質感うんぬん言っている間に、うちが倒壊するっつーの。

そういう切実さの元に断捨離が敢行されたのですが、面白いのは、家族三人貯め込み型には違いないんだけれど、貯め込み方は三者三様。

凡子…本にそれほど執着はないが、片づけるのが面倒でつい放置。そのついが、何十年という長期に及ぶ。ゴミは溜まれば溜まるほど、片づけるのが面倒になるという法則に見事にのっかっている。根性がないので、マンガも巻の途中で買うのをやめたりと、全巻揃わず抜けが多い。

面倒というハードルを超えられれば、物を捨てることが可能。

息子…悟り世代だからか、物には執着ナシ。手持ちのマンガも一番少ない。また読みたいというマンガがあっても、お金がたまったら新品を買い直すと、至ってクール。読み返しそうな本は捨てたくないという凡子とは、一線を画す。帰省した時に相当数のマンガを処分。コレクター気質で、本の状態も気にする。マンガの巻数も抜けがなく揃っている状態。古本屋に処分するときは有利。なんで今まで貯め込んでいたか不明。

家族の中では、ミニマリストになる可能性が一番高い。

ダンナ…状態は気にしないが、マンガは全巻揃えたい、揃えたら二度と処分したくない、買ったものは自分の身体の一部と考えるタイプ。巻数の多いマンガを好む。中学生の頃に買った本すら捨てたくない。
読み返すことはなくても、とにかく捨てたくない。というか買ったものを捨てるという発想自体がない。


断捨離を敢行する際には、最も手ごわい相手が誰かというと、もちろんダンナです。凡子の場合は、一度手を付け始めると、もう面倒になってさっさと終わらせたいという欲求が出てきます。

我欲を取り去ってくれるもの。それは、疲れ。疲れ果てると、まともな思考回路が働かなくなり、感傷も出ず、捨てるほぼ一択になっていきます。(←オススメ)

ただダンナにそれは通用しません。

「読んでない本ならいいんじゃね?」と、本棚の一部明け渡しを要求したのですが、ダンナ側は断固拒否。あわや戦争勃発寸前。近年なかったことです。

それでも粘り強い交渉の末、一部の本の処分に同意させたものの、最終的にはすっかりダンナがヘソを曲げた為、この3~400冊の本を玄関まで運搬する作業は、凡子が担うことに。

階段を何往復したか。うわ~重い~膝に来る~~~!!

断捨離をする際にネックになるのは、家族との見解の相違ではないでしょうか。相手の持ち物を「ゴミ」「邪魔」「いらない」と思っても、相手はそんなことはみじんも思っちゃいません。面倒臭いので、今後ダンナに捨てさせるのはやめようと思います。人に何かさせることに労力を使いたくない。割が合わない。

相互不可侵条約。捨てられないダンナには、でっかい蔵でも建ててもらいましょう。

とりあえず現在、納戸は床が見える状態。それでも本棚にはまだ相当数の本が。

紙の質感、それは言い換えれば、紙の重さ。今後体力が衰えていくのは必須。Kindle無料アプリを、PCとスマホにひっそりとダウンロードする凡子なのでした。

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