あなたは自分の才能に気づいていますか? 才能の発現と枯渇について
人間誰しも才能の一つや二つ、あると言われています。
あなたは自分の才能に気づいていますか。
早くに現れる人、遅くに現れる人、様々あるかと思います。
凡子は50才を過ぎましたが、才能の発現といったことにはついぞ出会わないでこの年まで来てしまいました。
いやいや待て待て。よくよく考えると、凡子にも「人にはない才」ありました。
えっ何か知りたい? 何を隠そう、それは犬感知能力です。
えっ犬感知能力が何かって。それは、道にいる犬を瞬時に発見する能力。
「隠せよ」って声も聞こえてきますが、この能力が発現するに至った過程知りたくはないでしょうか。
それは凡子の幼少期。近所の犬に襲われそうになったことに端を発します。
今もですが、昔も超ビビリな凡子。犬は単に遊びたくて、近くに寄ってきたのかもしれませんが、脳がはじき出した答えは、「襲われる。犬怖い」ということ。
この犬怖い状態は、『動物のお医者さん』の小泉(←わかる?)とまさしく同じ。
子供の頃、犬に襲われた小泉の、犬の大きさの認識は、「熊ぐらい大きかった」。一方、幼馴染の小林の認識は、中型犬。あまりの認識の違いに、この話をするたびケンカになる二人。
つまり、犬怖い人にとって、恐怖の為、犬は実際の大きさよりとてつもなく大きく体感されるのであります。
そう、犬感知能力とは、犬に襲われない為に、事前に、出来うる限り早く、犬がいることを察知するために進化した能力だったのです。
犬がいることに早く気づけば、逃げ出す時間的な余裕ができます。
この能力がいかんなく発動されるのは、ダンナの車に乗っているとき。ちなみに凡子は車の運転ができないので、定位置は助手席。
凡「あっ、あそこに犬いるよ」
ダンナ「…」
凡「あっ、そこにも」
ダンナ「…」
凡「わ~この家も犬飼ったんだね~♪」
ダンナ「犬いいから、黙ってろ(怒)!!」
こうしたダンナの弾圧にも屈することなく、この能力を高めてきました。
それだけでなく、近所で犬のいるお宅を脳内マッピング。
近所を歩くときには、なるべく犬に遭遇しないよう、犬マップを頼りに目的地まで最短のコースを歩くという離れ業さえやってのけることに成功。
精度の高さは、他者の追随を許さないレベル。
いつでもどこでも考えるのは、犬のこと。それは例えるなら、恋に似ているかもしれない。
しかし、あるとき、犬感知能力に決定的な出来事が起こります。
ある犬との出会いが、凡子を変えました。
このワンコの出現により、犬って可愛いなと思えるように。可愛いっていうよりむっちゃ可愛いっ!!
このお話は、機会があれば書かせていただきたいと思います。
「いや~、初めから可愛いと思っていたよ。だって犬に恋してたんだもん」
そのことにより、思考は、「犬怖い」から「犬むっちゃかわいい」に軌道修正。
そう、犬恐怖症を克服したのです。しかし、皮肉なことに
それまで、怖いから発動していた犬センサーが停止。
こうして凡子の何のお得感もない「人にはない才」は、永遠に失われてしまったのでした。
これが本田健さんの言う「才能のダークサイド」ということかもしれません。(←絶対違う)
あなたの才能は何ですか?
才能は一つだけとは限りません。もう一つくらい隠れた才能が、凡子にもあるはずです。
凡子に才能がもう一つあるとして、例えば人生80年と仮定して、79才で才能が開花してもどうしようもありません。どうしようもなくはないかもしれませんが、もっと早い段階で才能を享受したい。
そして願わくば、犬感知能力よりもう少し、社会的に使える才能であらんことを。