50代うすぼんやり生きています

50代のあれやこれや、管理人「凡子」が関わってきた今昔を綴っていきます

内なる批判者を華麗にぶっつぶせ

以前、精神状態が最悪っでうつっぽくなっていたとき、この内なる批判者に完膚なきまでにやられまくっていました。

こいつは、凡子が何かするたびにしゃしゃり出てきて、べきべき攻撃を仕掛けてきます。

「あのふるまいはどうなの? 大人としてこうすべき」
「こんなこともできないの?もっとちゃんとするべき」
「常識で考えればわかるよね。人としてこうあるべき」
「人間だったら常に向上すべき」
「人には感謝すべき」

べきべきべき……。

内なる批判者を華麗にぶっつぶせ

お前は、ベッキーの熱狂的なグルーピーかって勢いで、「べきべき」やられていました。
後、ねばならないの、ねばねば攻撃。

ポンコツさ加減がハンパない凡子。以前は、そいつの言うことがもっともに聞こえていたので、シューンとなって神妙に聞いていました。

行き過ぎなければ、道徳的で、常識的、向上心にあふれたやつだったりします。

ただこいつ、ほっておくと暴走し、一方的な批判、断罪を仕掛けてきます。そこには、人を正しい道に導こうというよりは、ただの独善的な個人攻撃。自分に対して行うので、つまりは、自己批判ってやつを、繰り出してきます。

ベキベキベキベキベキッッッッ!!

殺傷能力が半端ないので、まともに付き合っていると、自己肯定感、自己信頼とかをそういう部分を、メタメタズタズタにやられます。

罪悪感なんてやっかいなやつを、引きずり出してきたり。
で、正しいことを言っているようで、案外そうでもなかったり。

しかも、こいつに洗脳されると、他の人にまで、この「べきべき」攻撃を仕掛けるようになります。

結果、人間関係が悪くなったり、べきに従わない人にイライラ。下手をすると、自分の常識とか正義感に照らし合わせた、マイルールなんてやつを押し付けるように。そんなのって所詮、自分のルールでしかありません。

いっつも批判されるばかりで、もうこいつに付き合うのは嫌だと思った凡子、反旗を翻すことを決意。

何をしたかというと、こいつが出てきたら、頭の中でこいつの存在を蚤のように小さくイメージして、蚤のようにブチッと、つぶすことにしたのです。

「あーダメ、あの場面ではもっとこうすべきなのに」

ブチッ。

「ダメダメ。もっと頑張るべきでしょう」

ブチッ。

「そんなことしちゃダメ。母親なら子供にはこう接しないと」

ブチッ。

ブチブチブチ。増殖してくるのでさらにブチブチブチ。これでもかっていうくらいにブチブチブチ。

実際に指を動かすと、かなりすっきり。ブチブチしたら、指先に残る滓をふっと、遠くに飛ばしたり。

そんなことして良心を捨てることにならないの?と、心配される方もいるかもしれませんが、完全にこいつらを駆逐することはできないし、こいつらは良心に似ているようで、ちょっと違う生き物(←?)のような気がします。融通が利かない頑固野郎で、愛情みたいなのがない。

こいつの増殖を抑えると、家族だから、同僚だから、友人だから、こうするのが当たり前みたいなのがなくなって、何かしてもらったら「やってもらえてラッキー」ぐらいに思えて、イライラも解消。

人に何かをするときも、「やるべき」から「やってあげたいからやる」的な思考に変化します。

そうやって、自分いじめをやめました。すると、気持ちが断然落ち着きます。
ポンコツポンコツとして、それを受け入れていくのが自己愛なんじゃないかと。

あまりにもわらわらべきべき出てきたときは、プチッとやってみると、楽になれるかもしれません。

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